私は1969年3月20日に、秋田県鹿角市にて生まれました。
鹿角市はとてものどかな町で、近くには十和田八幡平国立公園があり、自然に囲まれた環境で私は育ちました。
今は閉山して、観光スポットとして有名なマインランド尾去沢(旧尾去沢鉱山)もあります。
尾去沢小学校、尾去沢中学校と進み、その後十和田高校に進みました。
中学・高校時代は卓球部に所属し、成績はイマひとつでしたがそれなりにまじめに部活動をやっていました。
高校を卒業し、東京に出て社員200名弱の日本板硝子系列の硝子工事・建材卸の会社に就職しました。
時はバブル全盛期!!建設ラッシュで好景気に沸き、忙しい日々の中訳も分からず毎日毎日朝から夜まで働きました。当時18才の体力を持ってしてもクタクタになってしまうほどの忙しさでした。
受け持った仕事は新築ビル、テナントの硝子工事から、名前を言えば誰もが知っている有名人のお宅等々・・・。
慌しくも毎日が充実した日々でした。
ただ、そんな日々の中にもふと、
『せっかく東京に来たのにこのままで良いのか・・・?』
『何かおもしろい事をして、目立ってやろうじゃないか!』
と思うようになりました。(若気の至りでした・・・)
昼間は工事現場で仕事をし、夜は役者の勉強をしていた時期もありました。
朝から晩まで硝子屋、夜は劇団の稽古、それが終わって深夜2時までファミレスの皿洗い・・・。
今思うとよくやったなと自分を誉めたくなります。(好きでやっていた事ですが・・・)
当時一緒にやっていた劇団仲間が、たまにカラオケの俳優で出てくる事もあります。
そんな仲間の姿を見ると俺も頑張らなくては!!と勇気をもらいます。
まぁ、そんな事をしながらも、東京生活3年目の冬、父親がガンで他界しました。
母親一人、秋田に残していてはまずい・・・、と思いながらも8年間わがままさせてもらい、そろそろケジメを付けて東京から帰らなければいけないなと思ったのが26才の時でした。
世間は阪神大震災、オウム真理教事件と慌しい時期でした。
そんな年の5月末に少しでも実家の近くで生活したいと考え、将来的には自分の店を持つ!!と強い意志の元、全国チェーンの飲食店に就職しました。結果的にはそこでは1年間という短い間しか勤める事は出来ませんでしたが、そこでの1年間は私にとって非常に意義のある、厳しくも思い出深い、自分自身をみつめることが出来た1年でした。1年の間に盛岡、仙台、弘前、鶴岡(山形)と目まぐるしい異動の中で店舗運営の楽しさ、難しさ、人のありがたさ、たくさんの事を学ばせてもらいました。感謝です。
そんなこんなと色々あり、結局何も残せないまま本当に実家に戻ったのが平成8年の5月中旬でした。
辞めて実家に戻って解ったこと・・・それは、
誰にも頼りにされない事の辛さ
目標の無い事の苦しさ
何をやっても楽しくない・・・。張り合いが無いんです。一言で言うと楽しくないんです。
「本当、真剣にこれはマズイぞ。一刻も早く仕事をしなければ。」と思い、焦りました。
そこで求人誌に建材屋で募集の記事があり、昔やっていた事を活かせると思い募集し、面接したのが現在の基礎となる(株)富士建材、現(株)エフエルシーでした。本当は現場の管理の仕事がしたい・・・と思って面接を受けた訳ですが、1も2もなくすぐに営業で採用されました。
実際、営業の現場は右も左も全く分からず、指導された事を現場で実践する、失敗する、実践する、失敗する・・・、その繰り返しでした。最初は訳も分からずやっていましたが、結果的にその繰り返しの中で営業の基本を覚える事が出来ました。
営業の仕事にも自信が付き、お客様も次第に増えて行き、順調になっていくと、ふと不安も出てきます。
「このままで良いのかな・・・」とか「本当にお客様は喜んでくれているのかな・・・」とか売ったはいいけどアフターフォローが出来ていないのではないかと思うようになりました。
売上げ重視の毎日の中で果たしてこのままのやり方でやっていってはいつか厳しくなるはずだ・・・と思うようになってきました。お客様アンケートをいただき、良い評価はいただいても、果たしてそれは本当か・・・?私自身の手掛けた現場を見て、ただ自己満足してはダメだ、本当のお客様の満足が欲しい、地域に根差した小さな会社でも良いから私の契約したお客様には心から喜んで欲しい。そう真剣に考える様になってきました。
盛岡で入社し、その後仙台、青森、秋田、宇都宮、郡山、千葉と転々と異動し、そんな中平成14年4月29日に結婚し、平成16年1月15日長男の誕生、平成18年3月22日長女の誕生とこの5年で公私共に環境が一変し、仕事の拠点も仙台に落ち着きました。
仙台という街はとても住み易く、生活環境も整い、街並みもキレイで、とても気に入りました。転勤して半年後には腰をすえられる住まいも決め、引っ越しました。転勤した時には宮城野区鶴ヶ谷(4号線沿い)にあった会社の事務所も、平成15年の春には泉中央に移転し、広い環境の整った事務所で心機一転スタートしました。
その頃の会社は業績も非常に好調で、人数も多くまさに飛ぶ鳥を落とす勢いでした。
しかし、いつまでもその勢いが続く事はなく、その後千葉、郡山、宇都宮と色んな店舗での勉強する場をいただき、そんな環境の中やはりこの商売は地域に根差した店舗運営でないといけないと思い始めてきました。地元の人間が生まれ育った場所で、生まれ育った人達の為に働く。それが出来る環境こそが一番良いのではと思い始めてきたのもこの時期でした。
願えば叶う!!そんなチャンスが訪れました!!
組織全体の分社化が決定したのです。
会社全体の動きの中で平成19年秋に、地域に根差しより良いサービスの提供を可能にする為に仙台、郡山の2支店の代表となり、株式会社リプランとしてスタートする機会をいただきました。大きな会社では出来なかったサービスを提供し、より身近にグレードの高い商品サービスを提供していけるチャンスを手にしたのです。
リプラン(Re:plan)の社名には、
Re:plan = もう一度、作る
Re:plan = もう一度、生まれ変わる
という意味があります。
外壁リフォームを通じて、我が家を明るく!地域を明るく笑顔の溢れる子供達の笑顔の絶えない、そんな住宅に作り変えるそのお手伝いをしたいと思っています。「子供が友達をたくさん連れてくる我が家」に、「ダンナさんが寄り道せずまっすぐに帰りたくなる家」に。
世の中にはたくさんのリフォーム会社があります。
悪徳と言われた会社は淘汰され本物しか生き残れていなくなってきています。
とても良い事だと思います。そんな中でも、お客様には何が大事で大切なものなのか・・・。
人生で一番高い買い物といえばそれは“家”な訳です。それを30年住んでローンが終わって建て替えでは
あまりに可愛そうな話しです。それではいくらお金があっても足りません・・・。
30年位で住宅が寿命だと言っているのは日本くらいです。
アメリカでは50年、100年と手を加えて長く住んでいくのが当たり前です。
もっともっと自分の建てた大事な財産の家を大事に末永く住んでいって欲しいと思います。
そんな住まいのお手伝いをしていく、それが私の出来る最大の使命だと思っています。
まだまだ駆け出しの小さな会社ですが、今まで培ってきたノウハウを元に、大きな会社では出来なかったサービスに心を込めて一棟一棟作って活ければと思っています。
皆様に喜んでいただける様、頑張っていきます。今後とも宜しくお願い致します。